※「キングダム 第660話 善か悪か」をご紹介するもので、ネタバレを含みます。
退却した什虎軍と、秦に囚われた什虎軍軍師・寿胡王。
「蒙武には聞く必要がある」という満羽の過去。
満羽の言っていた「解放」と「背負うもの」が、寿胡王の口から語られる……。
裏切り
什虎軍に対し、「他の軍にはない何かがある」と感じた騰。
その騰に対し、寿胡王の答えは相反するもの。
「逆に儂らは何もないもっていない、全てを失った」
満羽と千斗雲はそれぞれ、四方を楚に囲まれた小国「汨」と「暦」の大将軍でした。
楚の侵略に抗い続ける小国の雄、汨と暦。
二国が落ちなかったのは、もちろん満羽と千斗雲がいたから。
楚に勝ち続ける満羽は、楚との戦いに疲弊した汨国の精神的な支えであり、人気者でした。
「満羽様!俺達やっと15になりました!戦場へ出れます!次の出陣に是非とも!!」
そんな満羽に、汨国王は
「もはや限界だ、満羽よ。儂も民も。楚に降ろうと思う」
半年前に楚に降った小国「圭」では、その民の半分が奴隷になったと。
そんな事は自分がさせない、自分が汨国の民を守るからと、王に再考を願う満羽。
王や大臣と、満羽ら軍部の間には溝が生まれ、深まっていきます。
それでも満羽は「汨国の民のため」楚軍と戦い続けます。
そうしたある日、満羽軍が遠地で戦っている間に、汨国は城門を開き、楚に降伏したのです。
満羽達は帰る場所を、守るべきものを無くしたのです……。
投降しなかった満羽軍は、彷徨いながら楚軍と戦い続けます。
全てを無くし、呆然と戦う満羽はそれでも強く、戦いは何日も、何十日も続きます。
その戦いの最後に、満羽はあるものを見ます。
祖国・汨国にいた若者の死体でした。
満羽を慕い、「次の出陣に是非とも!!」と言っていた若者と、その他にも汨国の人間を含んだ楚軍と、満羽は戦っていたのです。
そして、満羽達はそれを殲滅していたのです……。
そして、それまでの満羽が、満羽の中で確実に死にました………。
善か悪か
自分を慕ってくれていた者達、自分が守っていた民達に裏切られた満羽。
「大衆の心を騙し、操るのはたいして難しいことではない」
という寿胡王の言葉通り、操られた結果の裏切りだったのかもしれません。
しかし満羽はもう、「壊れて」しまったのです。
時を同じくし、同様の境遇に陥った千斗雲も「壊れ」、満羽・千斗雲とも楚に降伏します。
同じように国を失い、根無し草となっていた寿胡王、玄右。
春申君によりその4人は什虎城を与えられ、重要拠点を守る任を与えられたのです。
心は壊れても戦は強かった4人には、うってつけの役だったのでしょう。
荀子の下で学んだこともある、儒学者でもある寿胡王。
孟子の「性善説」に反対して「性悪説」を主張した方ですね。
人は生まれながらに善か悪か。
かつては性善説と性悪説の研究が面白かったと語る寿胡王。
しかし、軍師として戦場に出るようになり、机上の空想がバカらしくなった。
戦いがあり、勝者・敗者があり、無力な者たちの犠牲があり、そこに善と悪が交錯する。
それを二分できるはずもなく、二分する意味もない。
「儂はただこう思う。人は愚かだと」
全てに虚しくなり、輝いていた心は虚無の底で死んだ。
そんな満羽を、何よりも悲劇だと感じる寿胡王。
しかしその満羽に「変化」が生じた。
そのきっかけが「蒙武」であったと。
蒙武にも、何か「背負うもの」があるのか…。
天が導けば自然と二人は相見える。
その先に、満羽の悲劇の先に、「何かある」ことを切に願う寿胡王。
人の愚かさの先に「何かがある」ことを…。
充分に語った寿胡王は、自ら頭を垂れ
「もういいぞ、首をはねろ。満羽の事、その結果を見届けるのは、お前たちに任せる」
偉そうにしてたくせに、何もしないまま負けた軍師…とか思ってましたが…。
満羽に対しては、並々ならぬ憐憫の情を覚えているようで…。
そして最期の潔さ。
なかなかどうして、立派な姿です。
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