王賁と玉鳳
前回608話の最後は、王賁と尭雲が相見えるシーンで終わりましたが、
609話の冒頭は、王賁と尭雲がまみえる少し前からですね。
玉鳳隊は関常、番陽は共に尭雲を討つべく、尭雲の元を目指しますが、
十槍の一番槍・田豊(でんほう)が立ちはだかります。
手負いの、しかも心臓の鼓動がおかしい(「ドググ、ドググ」と脈打ってます)
状態の王賁が、単騎で尭雲に向かっていきます。
尭雲の右腕を討ったところを、その討たれた右腕で、
返す刀で王賁は討ち返されました。
生死の境を彷徨って、やっと目を醒ましたばかりの王賁。
とても戦える状態ではありません。
そして尭雲の元に辿り着き、相見える2人。
信
尭雲の近くに玉鳳隊の旗を見つけた渕さん、すぐに信に知らせます。
死にかけていた王賁が、先に尭雲の元に辿り着いた…。
力の出ない信も、王賁の奮闘に触発されます。
「行くぞ飛信隊
尭雲は、俺達が討つ!」
やっとエンジン掛かりそうですね、信。
中華のうねり
王賁と対峙した尭雲。
王賁に話しかけます。
中華について。
藺相如の三大天の時代、秦でいえば六将の時代、傑物が乱出したその時代の
「武」は、それまでの歴史の中で不自然に突出していた。
藺相如は、その不自然を「中華のうねり」と解いた、と。
そしていま、再びその「うねり」が。
秦には、信や王賁、蒙恬らの若い世代が台頭。
そして趙には李牧。
だが、この2つの「うねり」には、決定的な違いが。
その違いとは「王」。
秦王・嬴政の存在です。
中華統一を本気で己の道とする、「特異な王」の出現。
「うねり」の極限に向かう中華は、
「一つになるのか、そうでないのかの応え」
を出せと。
その「応え」を出すために、戦う2人。
王賁と尭雲の一騎打ちが、今幕を開けます。
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