今回は丸々過去話ですね。
今まさに信の目の前にいる趙峩龍(ちょうがりゅう)と、そして尭雲(ぎょううん)は、かつての趙国三大天・藺相如(りんしょうじょ)の側近でした。
その藺相如が、「中華について」2人の側近に遺した言葉です。
馬陽の戦いにて龐煖に討たれた、秦六将の王騎が最盛期の頃、藺相如と馬丘で戦ったことがありました。
王騎と(小川を隔てて)相対した藺相如は、六将を良くも悪くも「無邪気」と表現します。
王騎達六将が仕えた王、「戦神」昭王の無邪気さからきていると。
その無邪気さで秦は、六将は強くなっているが、それでもまだ「届かない」。中華は「熟しきれていない」。
自分(藺相如)や王騎達の戦いは、中華を「熟させる」役割を負うものだと。
そして、人は思いを紡いで生きている。
戦場で敵を目の前に、何の話をしているのかと、王騎は問います。
「随分前からずっと、中華はかの日が来るのをずっと待っている」
かの日、中華が統一される日。
中華は争いにうんざりし、一つになりたがっているが、未だ機は熟していない。
しかし、いつか機が熟す刻が来る。
その剣は趙が持つかもしれないし、他の国の手にあるかもしれない。
もしいつか、その剣を手にする敵に出会ったときは、「全てをかけてそいつを殺せ」
今は亡き主の遺言。
「その剣」を持つ信を、全力で殺しに行く趙峩龍。
藺相如には先見の明があったんでしょうね。
誰もが「非現実的」と思う「中華統一」が、近い将来現実のものになると。
生まれた時代の違いや、病気が無ければ、中華統一を成し遂げたのは藺相如だったのかも…とは、考え過ぎではないでしょう。
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