趙軍をこのままにしておけず、かと言って韓に攻め入っている「蒙驁(もうごう)」軍を呼び戻すにも時間が掛かり過ぎる…。
徴兵令を出し、急遽10万の兵を興し、趙軍を迎え撃つことにする秦。
韓に攻め入る際、前回魏を攻め入る際に徴兵した地域には、昌平君の計らいで徴兵をかけていませんでした。
しかし今回、急な趙軍の侵攻に対し、前回魏を攻めた際に徴兵した地域にも、「戦える者全て」に対する強制的な徴兵がかけられます。
前回、信と伍を組んだ、同郷の「尾平(びへい)」「尾倒(びとう)」や、伍長の「澤(たく)」さん、甲冑を買いに行った際に再会した「田有(でんゆう)」らも徴兵されます。
他にも信や尾平達と同じ、城戸村出身の初陣組も何名か。
しかし、肝心の信がいません。
信はその頃、王騎に言われた「無国籍地帯」の平定を終えたところ。
王騎に崖から蹴り落とされて、4か月ほど経っていました。
平定の経験で、また一回り強くなった信。
そして……渕さんに至っては、一回りどころか二回りか三回りくらい強くなったのでは?というほど、人相も身体つきも変わり、あちこち傷だらけです。
侵攻してきた趙軍12万人に対し、秦軍は10万人。
単純な人数では、2万人ほど秦軍が劣勢。
尚且つ、趙軍は十分な準備と軍編成がなされていますが、秦軍は急遽集められた一般兵が多数。
こうなると、「誰が」秦軍を率いるか、その「将の力量」が重要になってきます。
名だたる武将は蒙驁と共に韓に攻め入っており、秦国王都・咸陽に残っている呂氏四柱の「蒙武(もうぶ)」を10万の軍の総大将にしようとする呂氏。
それを昌文君が止めます。
昌文君は現在は文官になったとはいえ、先々代の昭王の頃は戦の最前線で戦った武人です。
昌文君の言い分は、戦の強さ「攻」「守」で、今回の戦いでは趙軍を迎え撃つ城、「馬陽」を抜かれたら終わり。
つまり馬陽を守るための「守」の強さが求められる戦いになる。
蒙武は「攻」の強さに特化しており、「守」の強さがない。
故に、この戦いで総大将を務めるべきではない。
蒙武は激怒しますが、話の筋は通っており、呂氏もそれを認め、蒙武を諫(いさ)めます。
では、誰ならば総大将を務められるのか。そんな将軍は残っていないのでは。
「一人だけいます」
昌文君が総大将に推したのは、王騎将軍でした。
その時、王宮の正殿に現れた王騎将軍。王騎軍副将・騰と、修行を終えた信を従えています。
何故ここに現れた、と問われると、軍議に呼ばれたから、と。
呼んだのは、呂氏四柱の軍師であり、秦軍総司令の昌平君でした。
呂氏四柱なら同じ呂氏派の蒙武を推すものと思われていましたが、昌平君はそういった繋がりは切り離したうえで、どういう選択が最良かを考えられる人のようですね。
そういう昌平君だからこそ、同様に政治と切り離した軍師養成所を作るんでしょうね。
好きです、こういうタイプ。長いものに巻かれず、己を貫ける人。
まぁ、上司に当たる呂氏としては不満でしょうが…。
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