【この記事は死役所 ネタバレ 第87条 「お先に」のあらすじをご紹介します】
第87条 お先に
今回のお客様は…氏名不詳ですが、70代後半くらいでしょうか。
最初に読んだときは気づきませんでしたが、「ある方」の旦那さんでした。
「心臓病死課」で手続きする男性。
「すぐ天国かと思たら、けったいな場所があるんやなぁ」

死んでまで「お役所」の世話になるとは思いませんからねぇ。
三途の川を渡って「あの世」行きだと思っていたら、色々書類書かされるとか…。
男性の手元には、ノートと万年筆。
何か書き物をしている最中に亡くなったようです。
第80条「祖母にラブソングを」のぬいさんも、死役所を訪れた時にチェロの弓を持っていましたね。
男性が手にしていたのは、セルロイドの万年筆。








「セルロイド」というとかなり古いイメージありますが、今でもセルロイド製の万年筆は市販されています。
お高いですがね。
セルロイド (celluloid) は、ニトロセルロース(硝化綿)と可塑剤となる樟脳を主原料とする合成樹脂。世界初の高分子プラスチックである。象牙の代替品として開発され、20世紀前半には生活用品等に多く使われた。
Wikipediaより
「それを使って交換日記を書いていらしたんですね」
シ村さんに茶化すつもりはないのでしょうが、茶化しているように聞こえますね。
それにしても、亡くなる前まで奥さんと「交換日記」とは、夫婦仲がよろしいようです。
申請書ができるまで、イスに座って待つ男性。
改めて、手にしていた「交換日記」ノートをパラパラと捲ります。
人生史
交換日記は、男性と奥さんの「人生史」とも呼べるような内容でした。
もちろん「何時何があったか」を事細かに記しているわけではなく、ちょっとしたワードから、何があったのかを連想させるような内容です。
最初のページは奥さんの字。
男性がネット通販で買った、「指に力が入らない人用のスポンジ」を使い、「書きやすくていい」と色々落書きをしているページ。
次のページには「りいな」「ひいな」「ちいな」
男性の息子の子供、つまりは孫の名前候補でした。
男性の一押しは「ちいな」
「走り回ってるときに『ちょっと待っちいな』言うて」








少し寒いですね。
暦の上では「立春」を過ぎて「春」ですが、まだまだ2月。
(本記事執筆は2021/02/23)
寒くて当たり前ですね。
「死役所」好きの方で勘の良い人なら、ここら辺で気づくと思います。
亡くなった男性、前話の「勝又周子」さんの旦那さんです。
孫の稚衣名に「年寄りにも宿題がある」と言って、「エンディングノート」を書いていた勝又周子さんですね。
万年筆
男性が持っていた万年筆、奥さんの周子さんと一緒に購入したものでした。
お二人はセルロイドの筆箱や下敷きを、実際に使っていた世代。
セルロイド自体を懐かしみながら、周子さんは赤、旦那さんは茶で、ペアの万年筆を購入した二人。
早速購入した万年筆を試す周子さんですが…利き手・左手の指に力が入らない周子さん、上手く万年筆を使えません。
旦那さんがネット通販で購入したスポンジを使い、万年筆が使えるようになった周子さん。
しかし、スポンジを付けていると蓋が出来ません。
「ほんなら使う時は、お父ちゃんを呼んだらええな」
「せやな」
「お父ちゃん、アタシより先に死んだらアカンで」










本当に仲の良いご夫婦でいらしたんですね…。
自死を肯定するつもりはありませんが、周子さんが「待っててや、お父ちゃん」と、旦那さんに会いに行った気持ちは理解できますね…。
日記
旦那さんは心臓に、周子さんは間接に、それぞれ持病を抱えていらしたご様子。
入院した旦那さんのお見舞いにいらした周子さんは、肘付きの杖をついています。
そして周子さんが旦那さんに渡したノートには、
「お父ちゃんへ💛」
で始まる「報告」が。
これが交換日記のスタートですね。
「メールで良い」と言う旦那さんに対し、「ボケ防止になる」と言う周子さんは、旦那さんの万年筆も持ってきています。
「お父ちゃんがスポンジ付けてくれへんから」という周子さんは鉛筆書きですが、交換日記がスタート。
「お母ちゃんへ 朝5時3分起床
昼ごはんおかゆ 味気ない。背中がお~かゆい」








再び何やら寒くなってきましたが…。
以降、その日の予定や体調、外で見た花の話など、取り留めもなく、そしてかけがえのない2人の交換日記は続きます。
退院
旦那さんの退院直前の周子さん、「映画を見に行きたい」と書いていました。
退院した旦那さんの日記には「どこの映画館がえいがなー」








前話の「選択死」は周子さんのセリフでしたが、そういう所は旦那さんの影響が大きかったのかもしれませんね。
旦那さんの退院と共に、日記は中断。
孫の稚衣名の落書きもまた、大切な思い出の一つです。
旦那さんが入院して、日記再開。
旦那さんが退院した後、周子さんが入院した際も、見舞いに来た旦那さんは忘れずに「日記」を持ってきてくれました。
そしてお互い入院・退院を繰り返すように。
2人同時に入院することもありました。
「お互い大変やな。つらないか?」
「お父ちゃん、つらい」


旦那さんに弱音を吐くことも…。
「だから先に死なんとって。お父ちゃんがおらんようになったら、アタシ生きていかれへんわ」
楽しみかん
孫の稚衣名を連れ、旦那さんのお見舞いに来た周子さん。
いつも通り交換日記を旦那さんに渡すと、
「うちも友達とやってる!じいじとばあばもやってんの?」
と興味津々の稚衣名。
2人が帰った後、周子さんの日記を見ると
「花田さんが、愛媛から取り寄せたみかんをくれるそうなので、貰いにいきます」
いつも通り取り留めもない内容。
旦那さんもいつも通り、
「お母ちゃんへ 朝5時起 」
「起床」と書こうとしたところで、ペンを握ったまま亡くなった旦那さん。
死役所にて。
旦那さんの成仏許可証が出来るまで、まだ時間がありそうです。
「なんて書こうとしたんやったかな。みかんもろて来る…」
「楽しみかん」
そう書き加えたところで、許可証が出来たようです。
「勝又さん、お待たせしました。日記は書けましたか?」
「やかましいわ」
シ村さんをウザがりながらも、
『続きは天国でやな。その時に万年筆使たらええわ』








後に遺された家族のことを考えると、周子さんの自死はやはり肯定的には受け止められません。
ただ、天国で旦那さんにスポンジを付けてもらって、万年筆で日記が書けたらいいなって、子供みたいなことを考えたりはしますね……。
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