昌平君の「軍総司令としての私の決定だ。もはや覆ることはない」という一言で、秦軍総大将は王騎将軍に決定。
信と渕さんは、すでに出発している歩兵軍に追いつくため、軍議後すぐに出発します。
翌朝の出発を控えた王騎将軍に、昌文君は問います。
しばらく戦から離れていたのに、なぜ今回の総大将を引き受けたのか、と。
昌文君と王騎将軍は旧知の中で、出会いは二人がまだ百人将、現在の信と同じ位の時ですね。
少し先輩だった昌文君から、王騎は色々学び、あっという間昌文君を追い抜き、出世して将軍になった、と。
本人目の前にして「ココココ」笑いながらそんな話をしますからね。
気の置けぬ仲なのでしょう。
若い頃から共に戦場を駆けた二人。
王騎が、中でも一番熾烈だった、と語るのが「馬陽」。
趙郡の侵攻を受け、これから王騎率いる秦軍が守りに行く城「馬陽」
9年前、六将・王騎、六将・摎(きょう)、昌文君が参戦し、趙より奪い取った「馬陽」
戦いの最中、六将・摎が倒れた地「馬陽」
王騎将軍と「馬陽」という城には、そんな因縁があったのです。
そんな因縁の地で、「昭王六将としての自分と決別するため」に参戦する王騎将軍。
翌朝、王騎将軍は秦国王都・咸陽を出発します。
王騎将軍出発後、咸陽に伝者が。
今まで不明だった、趙軍の総大将の名が分かったと。
蒙毅も、秦国軍の中枢も「趙は動けない」と考えており、その理由が「大軍を率いる将がいないから」。
なのに、趙軍は動いた。
では、誰が趙軍を率いているのか。
伝者曰く「趙軍総大将の名は『龐煖(ほうけん)』です」
正殿にいた国王・政、丞相・呂不韋、軍総司令・昌平君、その他大臣たちも、一様に「龐煖?誰だそれは?」という反応。
ただ一人、末席の昌文君を除いては…。
この時点で昌文君しか知らない「龐煖」。
この龐煖が、この後秦軍、信にとって非常に大きな障壁となります。
そして六将の王騎と摎の関係とは…。
コメント